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Atomic Testing Museum(核実験博物館)

これは記憶が鮮明なうちに書いておこう。

放射能(放射線)に対する意識の違いに驚いた。



ホテルにチェックインしてすぐ、閉館に間に合うように Atomic Testing Museum(核実験博物館)に向かった。タクシーの運転手が迷ってしまい、閉館(17:00)の1時間前に到着。入場料を半額の5$にしてくれた。





入場すると、Webでも見られる映像が流れている。ヒトラー、冷戦、アインシュタインが勇壮な音楽とともに流れていくものだ。ネバダ核実験場(NTS:Nevada Testing Site)は1951年から「人がいないところで実験すべきだ」として開始された。事実、ネバダ州は砂漠と岩山が多くを占めている。そこで働く人たちはMercury Campと呼ばれる町を作って暮らした。一見ごく普通の労働者たち。余暇にはダンスを楽しむ。



広島・長崎についてふれられていたところでは、原爆で戦争が早く終わったという説明になっていたが、それ以上に気になったのは広島の写真だ。見渡す限り瓦礫で何もなくなった市街地に、兵士が一人歩いている。そこには、私たちが何度も見た被爆者の方々の写真は何もない。熱線と爆風の効果があるだけで、放射能を見ることはできない。違和感。原爆は、人のいる場所に落とされたのはなかったのか?





核実験そのものについての展示は続く。実験により、「汚い爆弾」から「きれいな爆弾」へ、さらに小型化されてきたと書かれている。実験自体による環境汚染は考えられなかったのだろうか?当時の風俗には核実験が流行として取り入れられている。アトミックカクテルのレシピ、きのこ雲の絵葉書など。



Ground Zero Theaterという、小さいシアターがあった。入り口の壁にデジタルで時間がカウントダウンされている。扉が閉まり、暗くなり、カウントダウンの声が聞こえる。シアター内は私一人だ。ただでさえ閉塞された場所には弱いので(PDを起こすことがある)緊張した。 「10,9,8,7...」予測された爆発を待つのは、作り物であっても恐ろしい。アトミックソルジャーは塹壕の中で何を思ったか。



フラッシュをたくような閃光。



眼前の画面に爆発の映像が映し出され、少し遅れて地響きのような音が出る。さらに遅れて、ブシー!と高い音で風が吹き付けられた。画面には立ち上るきのこ雲。気分が悪くなり、途中で出た。 作り物であっても、だ。きのこ雲=放射能という感覚は日本人だから?きのこ雲に対する嫌悪感というか恐怖。心臓が痛くなった。



地下実験の概要。「プルトニウムは危険だから、注意して扱わなければならない。だけどこれは技術的に非常に意味がある実験なのです」と、学者らしき女性が話すビデオがある。ごく普通の理科実験のように。大気圏内実験のスペースには鉄兜とアイマスク。



ここは核実験というより、核爆発博物館なんだろうか。

マーシャル諸島でロンゲラップ島を放射能汚染で住めなくしたのは?ネバダやユタの風下で被爆した人たちは?アトミックソルジャーは?爆発でできたクレーターの大きさだけが実験の結果か?人体への影響がおそろしいほどまったく取り上げられていない。それでも、スタッフとも話したが、政治的な視点ではなく、科学の視点から博物館を作るには努力が必要だったようだ。



最後に、もっとも印象的だった展示について。放射線計測器が並んでいるガラスケースがあった。さまざまな大きさの機器とともに、顔写真付のIDカードらしきものがあった。放射線測定バッジだ。彼の身体を放射線が貫いたことの証拠だ。身体ごと計測器とされたことの。



(Atomic Testing Museumについては以下の記事やブログを事前に読んだ)

アンチ・リアリティ―無邪気で無神経な核実験博物館

新設『核実験博物館』をめぐる、さまざまな思い(上) (Hotwired)

新設『核実験博物館』をめぐる、さまざまな思い(下) (Hotwired)

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December 12, 2005 4:35 PMに投稿されたエントリーのページです。

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