June 2007 アーカイブ

授業前夜

明日は某大学で講義。研究室の同期が持っている授業の一コマをいただいた。
正直、学会発表よりも、準備が終わらない。正確には、終わった気がしない。もっといいものに、、とどこまでもブラッシュアップしそうだ。これが、お金をもらって話すのと、お金を払って話す違いか。

事前に提出してもらった課題を読んでいたのだが、自分が出した課題に答えが返ってくるのにも、びびってしまった。責任持ってやらなきゃぁ。初のケースメソッド授業(練習の講義はしたことあるけれど)なので、ますます緊張。まぁ、楽しんで伝えられるように行ってくるしかないか。

ぜんぜん気が抜けないけど一歩

無事「設置」でたとの連絡あり。審査委員会。
主査(新)が都合つかず、主査(元)が説明してくださったとのこと。後からメールみてひやひやだった。
とりあえず出した論文は、だいぶ直さなきゃなんだろうなあ。。。最終試験を受けていいよ、となったら受けて、訂正して、製本して、投票。まだまだ道のり長くて息切れしそう。

でも、ちょっとだけ安心したせいか、やたら眠くて頭もぼんやり。

プレコックス感な夢

怪奇系の絵画ばかり見て、しかもそれを喋っていたら「やめなさい、悪い夢見るよ」と怒られた。案の定、夢を見た。

主治医の診察を受けるために大病院へ(夢の中ではいつもこの病院が出てくる。間取りも書けるよ)。職員室のようなスペースで、午後からの主治医の診察予約を確認していると、二十歳前後の女性がなれなれしく話しかけてくる。が、なんか変な感じ。空気が読めていないというか、何か伝わらないというか。プレコックス感。彼女の診察もあるでしょうと、病院の別のところまで送っていくけれど、なぜかまたすぐ隣にいる。家に帰るまでもずーっとくっついてくる。病院にもどって主治医に相談しようとするけれど、隠れると暴れだして、私をみつけるとにやーっとする。トイレに行った隙にひたすら走って、なぜか地下鉄四ッ谷駅の階段を一気にざーっと飛び降りて‥

着地するところで目がさめた。
ふう。

むしろ遠回り

医者に行かずに治す!と、中途半端にやっていてむしろ遠回りだった。
手元にあったトラネキサム酸ムコセラムを飲んでいたが、一向によくならない。

咳と痰について調べて細菌感染を疑い、確かに全然治らないので、木曜の夕方に内科に抗生物質をもらいに行った。インフルエンザを見抜けなかった内科なのだが、待ち時間ゼロと、自宅から徒歩1分の便利さにはかなわない。果たして、今回も問診がちょー適当だった。「喉は赤くないですね、じゃいいですね」って、私はげほげほ咳き込んでたんが絡んでぜいぜいして、答えられないっつーに。「咳がとまらんのです、たんも緑だし」と言ったら、「じゃあ抗生物質も出しましょう」と言っていた。目の前で咳してるんだから判断してくれよ!

手元にあった薬に加えて、咳止めのフスコデ、抗生物質ケフラールを追加。2日間飲んだら、熱は36度台に下がり、たんも正常に。

昨日の謝辞

昨日打ちのめされた私を支えてくださった皆様に感謝いたします。
私の至らなさから、動揺を隠せませんでした。

・終了直後にランチに付き合ってくれて、私以上に研究の意義を説明してくれたMさん
・怒号とモノが飛び交う中冷静で温厚に進めてくださって資料をすぐに下さったIさん
・終了直後の混乱にお付き合いいただいたEさんIさん
・「投げるほうが悪い」でネガティブスパイラルを切ってくれたRさん
・「酒のんで寝ろ」のUさん
・こっそり後日談をフォローしてくれたWさん
・あたたかな心配のメールを下ったAさん
・長時間の泣き言をなだめながら夕食をつくってくれたDさん

本当に感謝です
これを機にしっかりとしたものを提出すべくがんばります

設置申請は提出されちゃったし、がんばってね(笑顔)とかきびしすぎたかなぁ(反省)とか、
あとから言われても、やっぱりこわいものはこわいですから!

トラネキサム酸配合

火曜に微熱があったんだけど、まあ37度ならスルー、と思って、水曜は37.2度あったが某社の面接に行き、「家に帰るとだるくてねてしまうので気合を入れるため」に、カフェで論文赤入れ。そして足の小指をしたたかに打ってびっこ引きに。木曜はだるかったが某病院。金曜はやる気でないなぁと思っていたら、午後から37.2,3,4,とどんどん上昇。無理やり近傍キャンパスの図書館に行ったが悪寒がひどくて節々痛い。
気づいたら38度。
あぁ、やってしまった。

朝からのノドの痛みもひどくなっている。
あきらめて布団に入って、昔処方されたトラネキサム酸(ノドの炎症止め)を飲んで、寝る努力。ハルシオン2倍のんでも節々痛む。夜半に38.8度。見なかったことに。朝4時に明るくて目が覚めて、PC開いて大事なメールだけ処理してまた寝る。
土曜も一日横になる。

体重が2日で-1.5kg。
今日もトラネキサム酸のおかげで、ノドが楽。声は出ないけれど。
食欲が出てきたので元気になるだろう。それにしても、ここのところ熱を出してばっかりだ。

経過観察

例の大病院に検査結果を聞きに行った。10時~11時の予約枠だったけれど、診察は13時ちょっと前。2時間待った・・・しかも外科は混んでいて椅子も空いていないので、なかなかつらい。しかも、昨日右足を怪我したので、足を引きずっていたので、一体何で診察に来たのか意味不明であった。

エコーでは特に異常なし。マンモではちらりと石灰化が。白くくっきりと写っていて、前の病院では見えなかったので、設備の違いかしらん。このくらいなら心配ない大きさだし、おそらく良性だろうということに。ただ、今回は細胞診ができなかったので、もう少し様子を見ますかということになる。

「とりあえず大丈夫なら、もう来なくていいですか?」と聞くと、医師は渋い顔で「数ヵ月後にもう一度見せてください」と、MRの予約を入れた。微細な画像を見て、腫瘍の場所が特定できれば、ということだった。私は「もう来たくない」オーラを出しまくっていたが、様子を見た方がよいようだ。まあ、9月までなら学生健保で医療費の補助があるので、ちょうどよいか。

さしずめ、執行猶予かな。

叔父の夢

先週、叔父が亡くなった。土曜に叔父の自宅で身内だけで葬儀をし、出棺を見送った。その日は私も一日仕事が入っていて、最寄り駅を出てから気持ちを切り替えざるを得なかった。
だけど、最後に見た叔父の顔がショックで頭からなかなか離れなかった。叔父と言えば、20年近く前の姿を最初に思い出す。今の私と変わらない歳だ。お洒落な叔父にはよく可愛がってもらった。トイレの形の貯金箱に、小銭全種類を入れてプレゼントしてもらった。

今朝方、夢で叔父に会った。弟の結婚式をするという夢で、広い会場で祖父母を連れながら、弟の演出する結婚式に参加していた。弟の友人達がたくさん集まっていた。スーツを着こなした叔父がいた。少し痩せていた。10年ばかり前に会ったときの面影に近い。「ああ、おじちゃんはやっぱりかっこいいなあ」と言ったら、「らくさちゃんはオトナになって(口が)うまくなったねえ」と言っていた。

不思議なことに、出棺のときの顔はもう思い出せない。

地に墜ちた日本航空―果たして自主再建できるのか

初めて海外に飛んだのは、1979年。父の留学のために家族でアメリカに渡航するときだった。弟は赤ん坊だったし、私も小さな子だったけれど、お菓子が入ったポシェットをして、「JALファミリーサービス」のバッジを胸につけて、わくわく飛び立った。

それから20年後、私にとって、JALはやはり憧れだった。アメリカで航空券を買えば、米系よりも安くJALが買えるというのに、連れは「マイレージが溜まるから」と、JALではなくユナイテッドを予約した。そのときの大喧嘩をまだ覚えている。2002年、欧州への出張に、「マイル加算はありませんが」と言われたものの、JALを選んだ。ちょうどいい時間の夜便、そして長時間フライトは満足したかったからだ。

JALは憧れだった。だけど、周囲の友人達はANAのマイルを修行してまで貯めているし、私のマイレージカードもユナイテッドだ。この本では、ANAの鮮やかまでな企業改革と対比させて、JALのもたもたさ、そして裏目にでてしまう戦略が書かれている。読んでいてじれったくなるほどだ。

戦後から現在まで、機内のサービスや機上職がどのように変わってきたのか。社会の変化に対して、会社が取った戦略は何か。日本の航空業界の歴史を知ることができる。これを読んでいると、私自身が感じていたJALへの憧れは、やはり当然のものなのだなあと感じられる。去年乗ったクラスJは、たった1000円の加算で、十分にくつろげたことを思い出した。

著者が掲げる最終解決案は、かなり大胆だ。これは本書を読んでほしい。



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書評/ルポルタージュ

耳に挟んでしまった

ある会合の帰り、私が運営側に回っているあるイベントについて、ちらっと話している人たちがいた。「胡散臭いから行かないことにする」と言っていた。どうやら、ゲスト講演が問題みたい。

そのゲストは誰が決めたのか・・私も知らない間に決まっていたし、正直、ちょっと私もお会いするのがつらかったりする。やりきれん気持ちだ。