こわいこと アーカイブ

フィルタ

嫌なものばかりが目に入る。
博士号を取っても悲惨な末路しかないという記事や本、見出し、書き込み。
知らない人が書いた文章に心がざくざくにされる。
周囲を見回せば、活き活きとした研究者がたくさんいるのに。研究室の仲間達とがんばってる時間は、こんなことを考えもしないのに。自分と無関係な人たちが言うことよりも、自分の目の前を見なくちゃと思うのだけれど。

ここ一年くらいはこうした情報で心が折れそうになり、そのたびにjk先生には「いいから博論書け、話はそれからだ!」と叱られ続けてきた。あと少し、最後まであと少しのところで、また嫌なものばかりが目に入ってくる。なんつーフィルタだ。最後は自分との戦いかもしれない。

訃報

itojunさんの訃報。

信じられなかった。メールしたら 本人からメールが返って来るんじゃないかと思うくらい。
昨夜訃報を知ってからは、言葉が見つからなかった。一歩先がいきなり真っ暗な空間になったような感じがして、夜寝るのがこわかった。

今日は月末で慌しかった。もちろんやるべきことに集中しているはずなんだが、気が抜けるといろいろと考えている。ふとitojunさんのメールを読み返してしまったりする。さまざまなところでitojunさんを悼む日記や書き込みが増えていくのを読んでしまう。親密な付き合いのあった人だけでなく、私のようにわずかな接点しかなかった者も、そして会ったことのない人にまで、こんなに愛されていたことは、彼に届いていたんだろうか?

私が起き上がれないくらいの鬱で実家で寝ていたころ(例の自己批判まくりの負け戦の後ね)IABのボードになったitojunさんの新聞を切り抜いて、当時の日記に挟んでいた。及ぶべくもないけれど、いつか元気になれるんだと信じるためのお守りみたいなものだった。それが思い出されて、なんか、言葉がない。

耳に挟んでしまった

ある会合の帰り、私が運営側に回っているあるイベントについて、ちらっと話している人たちがいた。「胡散臭いから行かないことにする」と言っていた。どうやら、ゲスト講演が問題みたい。

そのゲストは誰が決めたのか・・私も知らない間に決まっていたし、正直、ちょっと私もお会いするのがつらかったりする。やりきれん気持ちだ。

ぷ列車ー

公聴会を終えてから、学内でおめでとうと声をかけられることが増えた。でも、公聴会が終わってからの方が気持ちはシビアで、一体何がめでたいのだろう?というくらいギャップがあった。まだまだなのに。

研究費が取れたことも、大学で支セの方々に一斉におめでとうと言われ、大変ありがたいのだけれど、何か、プレッシャーに感じられてしまう。

今日の研究会でも、大体書けてる、ほぼ取れるでしょうというコメントも出て、でも実際は内容が詰めきれてなくてヤバイのは、自分が一番よくわかってる。論文を印刷したら、抜けばかりだ‥。
おめでとう、と言われるのがいちばんプレッシャー。jk先生に「いいかげん集中しろ」と言われることの方が、状況が共有できていてまだ楽かも。

depression

食欲なし。
いろいろなストレス要因のあわせ技なんだろうと思うけれど、昼食も何食べてるかよくわかんなかった。夕食も食欲ないところを、無理やり回転すしに連れて行かれて、やっと食べられた。気が重いのはわかってる・・・見ないようにしてたところに不満があるのが、今日jk先生とちらっと話してぶわっと顕在化。

黙っていても分かり合えると思ったら、絶対意に沿わない就職になってしまうので、はっきりと質問事項を書いてみた。これでダメなら縁がないということだし、これでOKならがんばろうという気になる。こんだけの時間と労力とない頭を割いてきたことを、最初からは安売りしたくない・・・下積みをしたくないんじゃなくて、下積みの先にちゃんと見えるなら、何でもやろうと思うけれど、「ずっと買い叩かれる」(jk)のはよくない。

書いてえいっと送信してみて、少しすっきりした。けど、気が晴れない。うーん。有望になったら出資してください。

いちばんこわいのは

気の緩みが一番こわい。

朝9時に副査1と会って、「これおもしろいじゃん」といつもと違ってあたたかい反応。いかに料理するかでがんばろうという話。構成についてすっきりするアドバイスをいただく。
移動して14時に一番の関門である副査2と会い、3つコメントするから当日反映してといわれる。古いバージョンのサマリに対するコメントだったので、答えられるものは答える。ややてこずりそう・・
さらに15時から主査とテレコン。副査の先生方と全く同じ指摘で、構成を一部変えることになるが、それで一気にすっきりしそう。「こんだけかけてればあとちょっと、やったことに自信と誇りを持て」と言われる。

直すところも明確になって、これから発表資料に本腰を入れなければ。

気が緩んでしまったら、一気に疲れが表出してきそうで、それがこわい。なんとかこのテンションで火曜まで持つか・・・

ちょっと疲れた

私のデスクにあったものが(しかも図書館からの借り物)が後輩のデスクに持ち去られていたり、仕事の外注先にいつまでたっても連絡をいれずに仕事かかえこんだり、‥という後輩達にちょっと疲れてしまった。それをちゃんと注意するために悩んで言葉を選んでメールを書いた。もともとメールベースで仕事してる相手には、インストラクション込みで。メールすら読まない人にはSNSから送ってみた。これで反応なかったら、明日は電話してみよう。

やや気が重い‥。自分も通ってきた道で、周囲に迷惑かけまくってきたんだろうなと思うと、憂鬱さ倍増。

怒りのコントロール

怒りっていう感情のコントロールは難しい。
解決方法って、どーでもよくなることなのだろう。

高校の頃、どうしても許せないくらい決裂した人が居たんだけれど、その人は徹底的に私に無関心(な態度?無視してるってことは、意識してるからなんだろうけど)を貫いて、こっちは怒りの感情を処理できず、ぶつけられず、ほとほと疲れてしまった。

同期Bさんと私で、ある後輩に厳重注意をしたものの、あっけらかーんと返事をされて、しかも分かってなくて、これもどうしたらよいのやら。

だんまりを決め込むのは、卑怯だと思う。黙っていること=メッセージというのは幻想。知人M医師の本にもあったけど。何かを解決したいのなら、少しでもコミュニケーションをとり続ける努力をすべきだと思う。O先生に繰り返し、「つらくてもコミュニケーション取りなさい」と言われたのを思い出した。

何もかもがヤツに見える

洗面所にコンバットを仕掛けたにも関わらず、今日も、出た。天敵G。流しのところに貼り付いていた。しっかり見てしまった‥うえええ。頭ががんがんするほどイヤだ。しかし、何もできない。今日は私しかいない。外出して帰宅しても、そっと覗くとまだいるようだ。その後影が見えなくなったので電気をつけると、蛇口の裏に‥

書いていて背筋がぞっとするし、頭痛くなる。これではトイレにも風呂にも行けない。物影がすべてヤツに見えてしまう。精神衛生上最悪だ。これだけ冷え込むのに‥。明日はさっさと家を出よう。

しかし、こんなのでは日常生活も送れない。退治できるだけの度胸をつけるにはどうしたらいいんでしょうか。もう、本当に、世界で一番何よりも嫌いで、これ退治したら博士号あげるといわれても退治できないと思う。

事件史

事件史探求というサイトを見つけた。
戦後の事件、事故がまとめられている。古くは昭和20年熊沢天皇騒動、そして現在ではライフスペース事件など。少しずつ読もうと思ってるが、気が沈む。事件の写真って、白黒で見るとさらに恐ろしさや不気味さが増す気がする。

気が重い

ありがたいはずの話だが、気が重い。父が同期会で私の就職先をお願いしてくるよと電話で言うのだが、そもそもそんなコネは通用しないだろうというのと、あと「何でもやりますから入れてくださいって言っとくから!それでいいだろ??」と言われたことだろうか。そりゃこのテーマがやりたい、とか拘ってたら職はないだろうけれど、今までにやってきたこととある程度関連があることで役に立ちたいと思っているわけで、だから会社やめて大学院で苦しんでるわけで、それを真っ向から否定されるとちとつらい。

有期で大学に勤めるくらいなら、ちゃんと企業に就職して、しかも転勤するなということらしいんだが、娘のことを心配してくれているのは非常にありがたい親心だと分かっているのだが、でも、でも‥気が重い。どういう話したんだろう。うーむ。。。

なんとなく、根っこは、親離れ・子離れの問題な気もしてくる。このブログを書き始めたのも、親に見られないようにだったし(それまではブログを書くとすぐ電話がかかってきた)。

とまあ、風呂で考えてみたが、親がどう思っていようと、どこにせよ、就職先と自分のすり合わせで決まるわけで、親が採用するわけでもないし、と思ったら気楽になってきた。
ただ、親に理解してもらえないんだなぁという寂しさはあるが。

流血事件

撤収作業中に「あっ」と言われた。
右手を見たら、小指を中心に血で真っ赤。うああああ。
びっくりして流しに行ったら、どうやら紙で切ってしまっていたようだ。しかし、血はなかなか止まらない。気づいたらスーツとかシャツにも。全然痛くもないのに、見た目相当グロでした。周囲のみなさんごめんなさい。

頭も心もついていかない

人生変わるかも、という出来事に頭がついていかない。
その場でフル回転して答えたことが、そのまま進んで行きそうで、事態の大きさが正確につかめない。思ったよりすごいことなのか、身構えるほどのことではないのか。体も心も身動きがとれない割には、周囲からは楽観的と思われているふしもあり。
どうしたらいいんだろう。
事態が別の方向に進んでしまうという夢でがばっと目覚めた。後味が悪い。
何か変わるだろうか。何も変わらないんだろうか。

両隣で核実験

北朝鮮で地下核実験とのニュース。

つい一ヶ月ちょっと前の8月31日、アメリカもネバダで臨界前核実験。(東京都中央区の抗議

日本は両隣の国で、核実験にはさまれているってことか。

8月末の実験は、今日ほど騒がれただろうか?

距離が遠いから?そりゃ近くはやだよ。

核実験だけは、仕方がないことだ、と言えないと思う。どの国がやるにせよ。

いわんこっちゃない

都内打ち合わせの帰りに、某政党の27歳男性の駅頭演説にばったり。なんかいやーな気分になってしまい、何か読むものでも買おうとブックファーストに駆け込んだものの、うっかり水爆実験に立ち会わされた元兵士の本を買ってしまった。何てものを買ってるんだ…電車の中で読んでみたが、気分が悪くなってきた。また悪い夢を見てしまうではないか。



今日は23時頃送られてくるお仕事待ちだが、遭遇したものと読んだもので気分は沈むばかり。いわんこっちゃないですな。もっと楽しいものとかきれいなものを見ればよかった…。反省。

痛い

何の気なしに手に取った週刊誌で、ひどい記事を見てしまった。見出しと写真をちらっと見ただけで、すぐ閉じて戻してしまった。全部買い取って燃やしてやろうかと思った。なんてレベルの低い、悪意と敵意に満ちた記事か。



憶測と中傷で生計を立ててる人もいるってことなんだね。売れてるってことは。

悲しい。痛い。

恩ある人の名誉が傷つけられるのは、自分自身を傷つけられるのと同じくらい痛い。

程度の違いはあれど、思い出してしまう。これがきっかけになってしまったと知ったら、ご本人はさらに傷ついてしまうだろう。

行き場のない気持ち。

奴隷を買い戻すということ





この本を少し読んだ。今現在起きている話だった。村を襲撃され、レイプされ、富豪のアラブ人家庭に売られていき、6年間働き続け、次に送られたロンドンで亡命した女性の話。



奴隷を買い戻し、自由にしてあげようという運動が、コロラド州デンバーの小学校で起きたそうな。 ここここに書いてある。自由にするとは言っても、お金で人を買うことには変わりなく、奴隷市場への参入に過ぎないという批判がある。私も、お金で買い戻すという行為にとても違和感を感じる。けど、キレイゴトじゃなくどんな手段でもいいから自分を解放してほしい!と思うかもしれない自分もいる。何が正しいのか、分からない…。

記憶力

どうでもいいことを、仔細にわたって覚えていて、忘れることができない。暗記物は苦手だったのに。すべてリセットしたら、未来を考えられるだろうか?



気候で思い出してしまうことがある。普段は忘れているような些細なことが、湿気や空気の匂いから思い出されてしまうこと。特に、ちょうど一巡りした後は。

嫌なことは嫌だ

嫌なことは嫌だってはっきり言おう。決めた。

思い出したときに、頭をふるふると振ってしまうような記憶は、生理的に受け付けられない証拠だと思う。その瞬間はいろんな思惑とか感情とか建前とかがあって、表に出てこないこともあるけれど。無理がかかってる。



やっぱり、嫌なものは嫌だ。

繰り返し

同じことを指摘される。見てないでしょうと。

同じことで心が痛む。

耐えられないことが重なってくる。

結局繰り返すのかもしれない。

考えるのをやめよう。

低コスト運営

「新しい試みとして、低コストの運営を実現します」と言っていた。

それって、つまり、私がタダ働きするってことですよね?

帰りの電車内でパソコン開いて仕事するってことですよね?

対価なしで、でも仕事だけやってね、というコスト削減は間違っていると思う。けど、それが新しい時代のあり方ってことなのか…

オオカミの大地@チェルノブイリ

エレナのチェルノブイリへのバイク旅の続編、「オオカミの大地」を読んだ。ウクライナ人女性、エレナさんがバイクでチェルノブイリ原発周辺の廃村を廻った写真日記だ。棒を突き立てればそのまま育つ、とすら言われた肥沃なウクライナは放射能に汚染されてしまった。 チェルノブイリ事故が起きたのはウクライナだが、風下になった隣国ベラルーシは広範囲を汚染された。夜の廃村の写真のインパクトは、かなり強い。



それ以上に印象的だったのは、エレナさんのコメントだ。カフェでタバコを2箱吸う方が、廃村で被曝するより健康に悪いと言う。キエフ〜ロンドン間のフライトでも被曝するのだから、自分は飛行機に乗らないからここに居てもだいじょうぶ、と言う。



…本当に?放射性のちりを吸い込んで内部被曝するかもしれない分、危険なのでは?と思った。だけど、それは遠く離れた場所にいるからそう言えるのかもしれない。彼女はウクライナに、私は日本に。



こんな記事も。今月26日で、あれから20年。

「立ち入り禁止区域にバファロー チェルノブイリ」(asahi.com 2006/04/01)

「放射線、振り切れる針 チェルノブイリ30キロ圏」(asahi.com 2006/03/22)

おぞましさに意味はないのか?

死の灰の影響、米が極秘調査…死産胎児の骨入手?(3月8日読売)



核実験の死の灰による日本人への影響を極秘に調査していたとのこと。ストロンチウム90の測定を隠蔽してラジウムの分析としていたらしい。日本が対象になったのは太平洋の核実験場に比較的近いという地理関係もあると。この頃の新聞記事には原爆マグロという言葉があるし、手塚治虫の漫画に放射能の話が幾度となく出てくることを考えると、身近な脅威だったのだろう。



しかし、この調査の目的は一体なんだったのだろう?核実験が爆発を試すだけでなく、人体への影響も試しているということは許しがたいのだが、実際に調査分析されたデータは一体どうなったのか?たとえばチェルノブイリ原発事故の際に、これらのデータや役立てられたのだろうか?劣化ウラン弾の被害に役立てられてるのだろうか?

ETA(バスク祖国と自由)

カーニバルが終わる頃、横断幕を持った集団が横の道に行進していった。その直後、ぱーん!と何かがはじける音。爆竹か?と思ったが、再び軽い爆発音がして人がわらわらと走ってきた。明らかに雰囲気がおかしい。

一緒にいたスペイン語堪能で元記者のMさんが覗きに行こうとしたが、人々の叫びや逃げてくる雰囲気に「逃げましょう!」と叫んで、逆方向にひた走った。片手に持っていたチャコリ(残り)は漏れ出していてコートの片袖がびっしょり濡れた。



サイレンの音がする。バスもタクシーもその道を通るので、別の方面から帰るバスを探して遠回りして帰る。一体何があったのかよくわからない。ホテルに戻ってテレビをつけ、ネットで「Basque News」で検索。ローカルのニュースを探した。手が震えた。

eitb24という放送局のサイトにたどり着く。英語の記事は前日のまで、速報はスペイン語だったが翻訳エンジンをかませてなんとか読む。







話はこうだ。

ETAのIgor Angulo(32歳)がスペイン南部の刑務所で首吊り自殺したという。その追悼と抗議のために、バスク地方の街中に弔意のリボンを書いたバスクの旗やビラが貼られている(写真はドノスティア旧市街。ビルバオにも同様のものが貼られていた)。



これに伴って、バスク地方で爆発が相次いだ。ビトリア市ではキャンプ用燃料が爆発。ビルバオ近郊では爆発物処理中に屋根が吹っ飛んで警官2名が負傷。ドノスティアではデモ行進で3人逮捕、建物のガラスが割られた。2日の間に爆発が2件あり、帰国直前にビルバオで見たTVでは「各地の被害の様子です」と報道されていた。



ホテルの裏も、旧市街も新市街も、そしてビルバオ市街も、バスクの旗とIgorの写真、そしてバスク語の横断幕が張られていた。何が起こるかわからない。平穏で人懐っこい街で安心していたのだが…。

見えてしまった

同じように傷ついて、同じように傷つけて、同じように離れていく未来が。

人体実験の本を読んでしまった





図書館でこの本を手に取ってしまった。タイトルからしてショッキングだ。

河合智康「原爆開発における人体実験の実相〜米政府調査報告を読む」新日本出版社(2003)



新聞記事で読んだのかどうだったか忘れたが、かつて病院の患者にプルトニウム注射が行われていたと言うのを読んだ覚えがあった。なぜ、そんな非人間的なことができたのか?という疑問はずーっと持っていた。



そもそもは、プルトニウム製造従事者の健康のために実験は行われたという。身体に影響を及ぼすのはどのくらいなのか。どんな症状がでるのか。実験は患者の同意無しに、もしくは字が読めない人にサインをさせる形で実施されたと書かれている。



当時はごく少量の放射線なら無害だと考えられていたことも驚きだ。いわゆるアトミックソルジャーらは、筆記テストで繰り返し「誤った安全性」を叩き込まれる。危険を知らされていなかったウラン坑夫は、ウラン鉱石を自宅に持ち帰って見せびらかし、被曝する。



なぜ、という疑問はこの本を読んでも解けなかった。




「無防備だった時代」

衝撃的な写真を見つけた。

「無防備だった時代」(ナショナルジオグラフィック日本版「戦後60年、核兵器の脅威」)



ゴーグルをかけ、短パンでデッキチェアに腰掛けて核実験を見学する来賓たち。見学者は当然死の灰を浴び放射線の影響を受けたのだが、彼らはそれを知らなかった。知らされなかったのかもしれない。

Atomic Testing Museumを訪れたときのことは以前このブログでも書いたが、核開発、核実験に際してなぜ彼らはこんなに放射能に対して楽観的だったのだろう?と疑問に思う。 マンハッタン計画(Miguel A. Bracchini"The History and Ethics Behind The Manhattan Project"(1997)の邦訳)を読むと、日本への原子爆弾投下以前は放射能の人体に与える影響など全く未知であったことが分かるが、この見学は1951年…広島と長崎の惨状が明らかになった後のことだ。



情報を得る手段がなかったから?知らなかったから?知らされなかったから?

核実験の見学は、ネバダ州でも行われていて、お弁当を持って山に登って爆発を見たという(Atomic Testing Museum資料にて)。なぜそんな時代があったのだろうか。

核実験

自国民を殺傷するような核実験は、どうして実施されてきたんだろう?

この疑問にとらわれて何冊か本を読んだが、暗い気持ちになるばかりだ。



Vegas出張を控えて、ふとネバダ核実験場が気になった。ロサンゼルスやラスベガスに死の灰が降らないように、南西の風が吹いたときに実験をしたとか。付近の住民は、科学技術の発展を誇らしい気持ちで、きのこ雲を見学したとか。



Atomic Testing Museumがラスベガスにあるというが、オープニングの映像自体、衝撃的。出張の時に行こうかと思ったが、止めようかとも思う。

回路を切れないか

日常生活できるまま、私の感情の回路だけぶった切って、仕事にふりわけられないだろうか。ネガティブな感情だけを遮断するのは難しいから(切ない、なんて感情はどっちにも振り分けられる)。感情の回路をdisable/enable切り替えなんてできないか。



銀河鉄道999に乗ってネジになるか。それとも電脳化?脳と感情のコントロールに興味を持つのはなぜだろう。



ロボトミー(私家版精神医学用語辞典より)という愚行があった。人間の知的活動をつかさどる前頭葉に、さくっとメスを入れる手術。勘でさくっとメスを入れるなんて、無茶苦茶な。当時は抗精神病薬(メジャートランキライザー)がなく、統合失調症(精神分裂症)はこうして外科的手術を施されていた。一定の効果があった、とする説もあるが、人間の脳を破壊する非人道的な行為として、現在では禁じられている。



売れっ子のライターが無理やり手術を受けさせられ、仕事ができなくなってしまった。意欲も美しいものへの感動もなくしたことに絶望した彼は、主治医の家族を殺害したという事件が、かつて日本で起きたという( ロボトミー殺人事件)。